2009年 12月 29日
27日の日曜日、朝の6時前から夜の7時ごろまで停電。 こっち来た翌日だから18日か、にも終日停電。 ダナンでもしばしば半日ほどの計画停電はあったのだが、こちらの方が頻繁なような。 ま、まだn=2だからなんとも言えないか。 で、当家では電気が回復したあとにもしばしば瞬断で、積算電力系と電柱柱からの配電がいかれたらしい。 本日修理済み。 電気部門の活躍はまた別の機会に。 本日は、埋め立てられた水路の有効活用の話。 すでに仮店舗で市場が機能していることは報告済み。 今回はその後ろ、用なしになった橋の手前の広場あたり。 週末あたりからPA機器やら鉄骨材やらが搬入されています。 ウチの前の通り、車は入れないから全て人力。 若い衆が何往復もしてました。 で、組み立て設置されていくうちに、 なんか小規模な遊園地でも?みたいな風情に・・ テトの前後にはこういう風景、よく見かけたんですわ、ダナンやクアンナム(QuangNam)あたりでは。 にわか遊園地とかテキ屋的飲食・バクチ・お化け屋敷などなどの設営。 まだ、テトには早いしなぁ PA設備強制冷却機付き。 楽屋だか宿泊施設だかも。 で、日も暮れる頃、客寄せの音楽が流れてきまして、末の弟たちと吸い寄せられるよ~に・・ じゃじゃぁ~ん 男性の彼女、彼女、彼女・・ いきなり2丁目か、はたまた黒鳥状態。 主な興行収入はクジ引き大会かな。 かぶりつきに陣取っちゃてるもんだから、もちろん収益に貢献しなくてはということで、 何枚か協力。12千ドン(60円)。 ステージ上に引きずり出されそ~になりましたが、サスガにご遠慮。 つ~か、ボクの方が化粧栄えしそ~でねぇっすか? 翌日の月曜にも夕刻になると曲が。 さすがジムランのスピーカーと強制冷却付きアンプ、音は良いです。 てんてんてんてんてぇ~んゾイ♪ てんてててんてんてぇ~んゾイ♪ はやり歌でしょ~か、これを書いている今も聞こえてきていて、しばらく耳に残りそうです。 弟1号と2号がRyoさん一緒に行く?と誘ってくれたのですが、 ボク、昨日観ちゃったからも~いいカモ、 で、カメラ持って行かせました。 いじられてます。 真ん中は1号2号の近所に住んでる幼なじみ、右は1号。 姐さん、、歌舞伎町のロック飲み屋やってるAwa爺を女装させたら、こんな感じ? 幼なじみを冷やかしたいから、文字を入れられない? との1号の要望に沿うべくノリの良いボク、やっちゃいます・・ 一番右は2号。 2丁目の~~ちゃん元気かなぁ? って書こうとしたら、思い出せないよ、名前を。 記憶力減退ヤバし・・ #
by lagavu
| 2009-12-29 20:56
2009年 12月 27日
郵便局経由と鉄道チッキ、中身出したら、ダンボールの山。 買い取り業者が居るらしく、バイク2人で来てくれました。 六十何キロ、9万何千ドン。 キロ7円くらいか。 戸山公園のおいちゃん達に教えてあげたい・・ #
by lagavu
| 2009-12-27 23:59
2009年 12月 26日
ベトナム国内での引っ越し事情、まったく疎く、全て家人にまかせっきり。 い~じゃん、トラックで全部ドアからドアまで送ってもらって、我々も車チャーターしてくっ付いて行けば、 というボクの提案、却下。 トラックで全部いっぺんにというのはアリだそ~だ。ただ、家人が当たったところ、高くてもったいないとのこと。 んぢゃ、日系のロジスティックの会社あるケド、訊いても無駄か、で問い合わせず。 それと全行程を我々が車で移動というのもダメ。車酔いが酷いのよ、彼女。 そいえば、1月にこちらに来たとき、ダナン→サイゴンは飛行機、バス停まではセオーム、バス停からカントーまではバスのはずだったのだが、渡り舟の手前でギブアップ。 セオームでHauGiang河渡って実家までってなことありました。 加えて、ボクには期限ありのやらなきゃならない事もあって、机上PCはぎりぎりまで使いたい。 あとはパズルを組み立てるだけ。 結局、郵便で送れるものは送る。大物とかバイクは列車でダナン駅→サイゴン駅留め。 人間はサイゴンまで飛行機。そこからは未定。 写真は鉄道チッキ向け大物その他14点。チッキなんて言葉、久々に思い出して使ってみるの巻。 お気に入りのなんちゃって高級執務椅子。 ケツと背中に当たる部分にゴムひもが何十本って張ってあるのだが、ゴムひも外す意味あるの? とはツッコミ入れられず。だって、ボク、ぜんぜん動かずオトモダチにまかせっきりだし。 最後に残ったデスクトップ。机と椅子は借り物。 左の部屋にかすかに見える残ったベッドのマットレスも、荷造りされちゃって、2,3日、床にダンボールとベッドカバー敷いて寝てました。 ボクは大丈夫だったのだが、家人は寝心地悪かったらしい・・ で、17日の夜、ダナン発サイゴン着のVN333便。 21時台のはずが遅れて23時50分発。 VN3299便ってのがあったから、ブッキング多くて増発、で、安チケット組は後に回されたか? と勘ぐってる・・ これ、全手荷物。10キロ以上オーバーだったのだが、 いや~妊婦に付帯してる荷物が多くってサ・・、 で、追加料金勘弁してくれた。2時間遅れの件、チャラにしちゃる。 空港から程近いバクダン通りでイチゲンでホテルにチェックインしたの午前2時ごろだったか。 値段交渉には当然ボクは登場せず。これボラれないための豆な。 250,000ドン也、邦貨で千円ちょい。 なんちゃってヴィトンも写ってるし。 あ~、これ、家人が旅行用に市場(「いちば」って読んでネ)で千円ちょいで買い求めてきたものなのだが、 ヴィトンのことなんて知らないから、たまたまだったみたい。 日本にゃ持ってけね~っつーの。 恥ずかしい以前に成田で没収だろ・・ で、近場で蒸し鶏つまんで一杯やって就寝。 さすが大都市、そんな時間でもやってたよ。 18日の昼、我らがロジスティック部隊が来てくれました、サイゴン駅まで。 で、13時半まで手荷物受け渡し場所、お休みの模様。 くじ売りの姐さんも休憩中・・ 部隊は弟1号と2号、それと男衆2名。 カフェちうの図。 一番右が1号、二番目の向こう向いてるのが2号。 傘に隠れてるのが、都会っ子を気取ってるのか家人。 1号、日本のブルースバンドのなんつったか忘れたが、そのリードボーカルに似てるかも。 おでこで判るかもだが、家人とウリです・・ しょ~がねえ、開くの待つか。 で、14個、無事ゲットは良いのだが、 乗ってきた車、全部乗らないっての。 よくあるベンツの十何人乗りのヤツね。 更にバイクもあるから、ど~しよっか? そこいらへんの業者あたって、トラック確保。 1号、2号はトラック運ちゃんと同乗、 我々は手荷物とともにベンツ。 河渡るころには日も暮れていました。 遠くに見えるのは、カントー(CanTho)の灯。 更に何十キロか南下して、やっと到着。 水路消失にはビックリしたけど、 末の弟と近所の子供たち、家族が迎えてくれました。 トラックは1時間ほど遅れて到着。 お疲れ様でした、ロジスティック部門の皆様・・ 備忘録: チッキ14個;ハイちうトゥーだから、1万円ちょい、 バイク一台;ボンちゃむマイで二三千円、 ベンツ往復もっちう、5,000円、 現地調達トラックはいちう1万円なりぃ #
by lagavu
| 2009-12-26 23:36
2009年 12月 25日
家人の実家の構成は、父母、長男夫婦と2歳になる長男、次男夫婦と4歳になる長女、22になる次女は嫁に行っちゃったので居らず、あと10歳になる末っ子の三男。 きわめて厳格な父親の下、統制がとれていたところへ、何年も家を空けていた第一子である長女の家人がへんなおっさん連れて来ちゃったもんだから大変です。 さっそく強権発動で流し場の改造しちゃってるし、10波乱も20波乱もありそ~です。 で、急遽、我々の部屋を父親、長男、次男の3人でこしらえてくれているの図。 ありがと~♪ PC置けるし、寝る場所もちゃんっと確保っ! これだけ大人数だと、いっぺんに全員で食事なんてできません。 用事が無かったり済んだ順番にちゃっちゃか食べて、順番に済ますって感じ。 で、晩酌中のボク。飲んでるのは一昨日CanThoで仕入れてきたスコッチ。 も~数ショットしか残ってないので、今日はもち米焼酎にしとくかな・・ ホントは日が暮れたら道に面した売り場の縁台で一杯やりたいところなのだが、 近所の目もあるし、そ~もね。 この2枚、末っ子が撮ってくれたものなのだが、かな~り薄くなったボクのアタマを気遣ってか偶々か判らんが見事に切れてます。 Chuoug! オマエ、心配りっての判ってるなぁ~・・ #
by lagavu
| 2009-12-25 20:47
2009年 12月 24日
今日ってクリスマスイブなのね。 クリスマスと言えば、やっぱあれだ。おでんの屋台で熱燗きゅ~っと。 富久町のオヤジは亡くなって久しいし、幡ヶ谷も今ではたたんじゃったと聞くし・・ で、当地ではと言えば、はい、全く関係ありません。クリスマス?何それ、食べられるの?ってな感じ。 そりゃそ~だよ。だって、旧暦(太陰太陽暦)がまだまだ幅利かせてる国だもん・・ あ、誤解なきよう付け加えておくと、ダナンとかサイゴンみたいな商業都市は別よ。おそらく今頃は街中クリスマスソングと飾り付けでいっぱいのはず。 下の写真は昨日だかカントー(CanTho)までちょっと買物に行ったときにスーパーの一角で撮った写真。 ネ~ちゃん達のクリスマス衣装、涼しげです。 で、本題。ベトナムでは日本の年末年始は関係なし。そのかわりに旧正月(テト)の前後を盛大に祝います。 毎年テトの時期が変わるし中国の旧暦とも違う時があるみたいだし、これって何か法則みたいなもんあるの? って訊いたことはあるのだが、明確な答は得られないまま3年が過ぎてしまいました。 ああ、それって毎年1週間ずつ早くなってって・・ なんて教えられて、 へ? んぢゃ、去年は当てはまらね~じゃんよ、なんて漫才かまされたり。 つ~ことで、調べてみたのだが、なかなか見つからない。 ベトナム語が達者なら調べようもあるのだろ~が・・ やっと見つけたのがこのサイト。 Computing the Vietnamese lunar calendar ウムラウトの国で人工知能だかの研究をされているベトナム青年のホームページらしい。 ざっくりとだが日本語にしてみました。 ボクは天文の知識に乏しいし、彼も母国語ではない英語で記述されているので、以下の訳の正確性に関しては責任持てませんのでヨロシク。 【以下、上記サイトの主要部の訳】 ベトナム暦の規則 ベトナム暦は天文暦の一種であり、太陽と地球と月の運行に基づいて任意の年に関して計算することができる。「新月」とある年における「主要標識」の二つがわかれば、どの期間についてもベトナム暦の計算が可能である。 「新月」は太陽と月と地球とが同一直線状に並ぶ時点のことを言い、29.5日に一回かならず生じる。 12個の「主要標識」は黄道を等間隔で分割したそれぞれの点のことであり、これらのうちの4つは西洋暦における4つの季節標識、すなわち3月20日前後の春分と6月22日前後の夏至と9月23日前後の秋分と12月22日前後の冬至としても用いられる。 「新月」は太陰月の初日と末日を決定するために用いられる。「主要標識」は閏(うるう)月と太陰月の名称とを決めるために用いられる。これらは太陽の位置に基づいているので、ベトナム暦は純粋な太陰暦ではなく、太陰太陽暦と言うことができる。 一旦「新月」と「主要標識」とが求まると、以下の5つの規則を適用して月日を決定することができる。尚、これらの規則はP. Kenneth SeidelmannniによるExplanatory Supplement to the Astronomical Almanacから採用した。 1. 新月の日を月の初日とする。 2. 平年は12太陰月からなり、閏年は13太陰月からなる。 3. 冬至は常に11月に含まれる。 4. 閏年においては、主要標識を含まない月を閏月とする。閏月に対しては、閏であることの表示とともに一つ手前の月の数字が割り当てられる。主要標識を含まない月が閏年に二つある場合には、冬至からみて先にくる月を閏月とする。 5. 東経105度の地点における計算とする。 規則の適用方法 新月と主要標識を正確に計算するためのコンピュータプログラムがかなり出回っている(リンク参照)。新月が決まればその太陰月がいつ始まりいつ終わるかが判る。太陰月の初日が新月の日である。しかし、ここでタイムゾーンを考慮することを忘れてはならない。ベトナム暦と中国暦が種々の点で異なるのはそこに理由があるからである。例えば、新月がyyyy年2月18日16時24分45秒GMT(グリニッジ標準時)であるとすると、ハノイ時間では同日の23時24分45秒となるから、ベトナム太陰月の初日はyyyy年2月18日となるが、中国においては1日が少しだけ早く始まり、新月は北京時間のyyyy年2月19日0時24分45秒、つまり翌日ということになる。 太陰月の初日と末日が求まれば、その月が何月かということと閏月とを以下のようにして決めることができる。冬至は常に太陰年の11月に含まれる。従って、二つの連続する冬至に先立つ二つの新月を計算することが必要である。二つの冬至の間に12の太陰月がある場合は簡単であり、一つ目の冬至を含む月から11月、12月、1月、2月、…とすればよい。 二つの冬至の間に13の太陰月がある場合には少し複雑になる。即ちこの場合には閏月があるので、どの月が閏月かを見出さねばならない。その規則は、一つ目の冬至の後の主要標識を含まない最初の太陰月を閏月とするものである。閏月が見出されたら、11月、12月、1月、…、M月、閏M月、(M+1)月、…とすればよい。 例:1984年の太陰暦 次表を参照しながら上記の規則を適用して、1984年のベトナムの太陰暦を決定してみよう。 (表は原文参照くだされ) 規則によると、太陰年11月は冬至の日にあたるあるいはそれよりも前の新月の日が初日であり、次の新月の前日が末日である。従って、1983年の太陰年11月は1983年12月4日(西洋暦)から1983年1月2日まで、1984年の太陰暦11月は1984年11月23日から1984年12月21日までとなる。 1984年1月3日(1983年太陰暦11月の翌月初日)と1984年12月21日(1984年太陰暦11月の末日)との間には12太陰月がある。従って、1984年はベトナム暦では閏年ではなく単純であり、太陰暦12月は1984年1月3日から1984年2月1日までであり、太陰暦1月は1984年2月2日から1984年3月2日までとなる。 なぜ、1985年には閏月があるのか? 1985年の状況は異なる。1985年の太陰年11月は1985年12月12日から1986年1月9日までである。1984年の太陰年11月(1984年11月23日から1984年12月21日まで)と1985年の太陰年11月の間には13太陰月あるので、1985年は閏年となる。1985年3月21日から1985年4月19日までの太陰月には主要標識が含まれないので、この月が閏月である。 (同じく表は省略) 中国暦との比較 1985年はベトナム暦と中国暦が大きく異なる数少ない年の一つであり、ベトナムの新年は中国のそれよりも1ヶ月早かった。その理由は上記の表から理解することができる。1984年の冬至はハノイ時間で1984年12月21日であるが、北京時間では1984年12月22日となり新月と同日である。中国暦の11月も必ず冬至を含むから、ベトナムのように1984年11月23日から同年12月21日までとはならず、1984年12月22日が中国太陰暦11月の初日となる。その結果、次に続く月(12月、1月、…)も対応するベトナム暦の月より1ヶ月遅れで始まることになる。ベトナム暦の新年が1985年1月21日であるのに対して、中国暦の新年は1985年2月20日である。ベトナム暦と中国暦はベトナム暦に閏月(上述のとおり1985年3月21日から1985年4月19日)が加えられた後に再び一致するようになる。また、1984年においては1984年11月23日から1984年12月21日までの中国太陰月が1983年の冬至の後の主要標識を含まない最初の太陰月であるから、これが閏月となる。 21世紀においては、太陰新年がベトナムと中国とで異なる日に始まる年は3つある。2007年にはベトナム暦新年が2007年2月17日であるのに対して、中国暦新年は2007年2月18日。2030年にはそれぞれ2030年2月2日と同年2月3日、2053年にはそれぞれ2053年2月18日と同年2月19日である。 【終わり】 全部読んだ方、ご立派。 どお?良く解らんでしょ。 よ~するに、これを完璧に理解するには、黄道やら春分点やら、やらやら、天文の知識が必要らしいということと、 ここがきわめて重要なのだが、 上にリンクしたサイトに行けば、何十年先のテトが何時かということなどコンピュータがタダで簡単に計算してくれるということであ~る・・ #
by lagavu
| 2009-12-24 17:26
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